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自民党崩壊と政治の回復

自民党崩壊と政治の回復

西谷 修
哲学者、東京外国語大学大学院教授
ナント高等研究所通信会員
『世界』、2009年11月号
訳:フォーロドゥ・マチュー

「チェン


衆院選の翌日、思いがけなくフランスの友人から所見を問うメールが舞いこんだ。今年一月から半年間フランスのナント高等研究所で過ごしたが、その 間、日本が話題になったのは、二月にローマで開かれたG7蔵相会議で日本の財務相が酩酊会見したときと、六月に石川県でおたまじゃくしが降ったときぐらい である。世界が揺れ動いているこの時期に、日本の国際的プレゼンスはその程度に低かった。与太話以外に発信されることがないのである。


それでも、今度の選 挙結果はいささか注目されたようだ。友人のメールのタイトルも「歴史的変化?」とある。民主主義国か君主国かも分からず、先進国のなかではほとんど稀有 の、戦後六〇年間ほぼ一党支配が続いてきた国で政権交代が起こる。これはたしかに、オバマほどには目立たないが、おたまじゃくしの雨が前兆になるぐらいの 椿事(チェンジ?)ではある。 とはいえ、今回の選挙結果はたまさかに生まれたものではない。投票前から民主党圧勝の予測が伝えられ、揺り戻しがあるのではと一部では噂されたが、結果はほぼ世論調査の通りだった。状況を見て決めるという流動的な票がなかったのである。それに投票率も高かった。これは選挙民の意思が明確だったことを示している。それが今回の選挙の違うところだ。「風」を吹かせて票を集めればよいといったものではなく、いままで明確なかたちをとらないまま進行していた事態を、確定的に表面化させる選挙になったということだ。


その結果、自民党が改選前の4割にまで落ち込んだ。もはやこれは「歴 史的」とさえ言えない壊滅的な敗北だ。小選挙区制で事態が増幅されたということはあるだろう。だが起こったことははっきりしている。自由民主党の崩壊である。もちろんこれは今に始まったことではない。当の選挙対策にあたっていた菅義偉がいみじくも言ったように、自民党の賞味期限は小泉政権の時点ですでに切れており、それでも三人の首相をすげかえながら延ばしに延ばした今回の選挙は、その崩壊にもはや手がつけられないことを誰の目にも明らかにしただけだった。この一〇年間、その実勢はちょうどアメリカ金融システムの浮沈をなぞるようかのように粉飾されてきた。つまり自民党は、政権を担保にした公明党の「融資」をあてに発行される「サブプライム・ローン」と、それをもとにした「構造改革」や「美しい国」というデリバティブの乱発で実体の空洞化をしのいできたが、もはや「アニメ」しか出し物がなくなってとうとうバブルがはじけ、その果ての選挙でシステム破綻を決定的に露呈させたということだ。

自民党とは何 だったのか


自民党の崩壊とは何を意味するのか、これもまたはっきりしている。日本がやっと、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)とその後の冷戦という二 つの戦争の拘束を脱した新しい政治状況に、まともに身をさらすようになったということだ。というのは、日本の戦後の政権を担い続けた自由民主党とは、その二つの戦争の担い手たちの妥協から生まれてきたものだったからだ。自民党には歴史的意味づけがあった。それは、戦前の旧体制とつながりをもつ勢力が、戦勝国アメリカに身を預け、冷戦状況に適合することで日本の統治をそのまま継続する、そのために作られた政党だったということだ。


自民党には主として二つの 流れがあった。ひとつは戦争体制を積極的に担い、敗戦後にも生き延びて、戦前の基盤を温存しながらやがては国家主義的な日本を復興しようとした勢力、もうひとつは、戦前の国際協調派の流れを汲んで、アメリカに従いながら経済復興を目指そうとした勢力だ。前者は、戦勝国であり占領当局だったアメリカに服従することで保身を確保し(「CIAに協力して巣鴨プリズンを出る」)、かつ冷戦状況を利用してアメリカ反共陣営の一翼を担うものとして日本の再軍備をめざした。この路線はいうまでもなく岸信介によって体現され、その後の自民党右派によって引き継がれた。後者にとっては、冷戦下での再軍備圧力は経済的・社会 的な復興の負担になるため望ましいことではなかったが、アメリカの保護を受けつつ日本の再建と発展を目指すため、その要求は懐柔しつつ受け入れねばならないものだった。これは吉田茂から池田勇人、そして大平、宮沢(いわゆる保守本流宏池会)へと受け継がれる路線である。


その前提として、サンフランシスコ 条約発効の翌年一九五三年秋の池田ロバートソン会談があった。この会談で、日本への米軍駐留と日米安保体制の基本が決定され、アメリカの経済援助を前提に、憲法の戦争放棄条項や教育基本法の改変を目指す方向などが取り決められた。改憲や教育基本法の改変はアメリカの要求だったが、この会談で宮沢にサポートされた池田は、約束手形を振り出すだけでアメリカの性急な要求をかわしてきた。けれどもその決定の上で、台頭する左派に対抗して冷戦下の日本の政治を安定させるべく、この二つの保守勢力の合同がCIAの指導の下に果たされたのである(CIA緒方竹虎ファイル参照)。


この自民党のあり方は昭和天皇の姿勢とも結びついている。天皇は敗戦後マッカーサーの懐に身を預けることで延命の道を選んだ。世界ではヒトラー・ムッソリーニ・ヒロヒトと並び称されるが、そのうちヒロヒトだけは戦争責任の追及を免れた。もちろん戦争責任の論議にも異論は立てられるし(パール判事の見解のように)、昭和天皇ひとりに敗戦の責任があったわけではないが、それが「軍の統帥権」をもつ実質的な国家元首であった以上、国際的に責任を取るべきは彼以外にいなかったのである。六四年の長きにわたって在 位したこの天皇の体現した日本近代の連続と不連続とを、自民党もまた抱え込んでいた。白馬にまたがる御真影(戦前)が右派の理想像だったとすれば、植物研究に打ち込む平和主義者あるいは稲の守り(戦後)が経済復興派の象徴であり、その二つのイメージがひとりの人間(というべきかどうかにわかには決めがたいが)に担われていたように、自民党は戦後日本の二つの保守潮流を、アメリカとの「緊密な関係」(平たくいえば「従属」)を軸に、一身にまとめていたのである。
このため日本は、憲法改正(つまりは再軍備)を党是に掲げる、つまりは憲法に従いたがらない政権党を、六〇年の長きにわたってもつことになった。この「ねじれ」はもちろん日本に内在的なものでもあるが、国際関係としては「アメリカの要求」に規定されており、それが国際社会における日本の胡乱さと信用のなさの原因ともなっていた。改憲派は「おしつけ憲法を廃して自主憲法を」と主張するが、じつはそれこそがアメリカが自民党に託したことなのである。日本の右翼は奇妙にも、あたかも「対米従属なしの国家はない」と思い定めているかのようだった。それも冷戦下では「反共」で辻褄が合わないわけではなかったが、九〇年代以降にはそれも通用しなくなる。

自民党政治の空洞化と小泉政権


その意味で、自民党の歴史的役割は冷戦の終わりと昭和天皇の死とともに実質的には終わっていた。事実、自民党は長期政権の弊害(派閥抗争、金権汚職等)で九〇年代初めにいったん崩壊しかけるが、それを蘇生させたのが社会党との連 立という驚天動地の裏技だった。これに乗って「歴史的裏切り」を演じた社会党は、みずからの命脈を絶っただけでなく、「信ナクバ立タズ」の「信」への幻想を虚仮にして、政治に対するシラケを蔓延させた。その一方で自民党は、冷戦後の「脱イデオロギー」という流動状況のなかで、相次ぐ「連立」によって政権党としての地位だけは確保してゆく。そしてそれだけが、以後の自民党の自民党たるゆえんになるのである。その末路を「責任力」をうたった麻生内閣の選挙戦が示している。それは、ただ政権を担ってきた党だけが政権を担うことができるというトートロジーの空疎さに気づかず、現状の責任はすべからく政権を一貫して 担ってきた自民党にあるという自覚すらもたない、責任感覚の根本的風化を示すものでしかなかった。


自民党のそこに至るまでの空洞化を支えてきたのが、政権に身を寄せるだけで「実績」をうたってきた公明党である。その「カオナシ」(『千と千尋の神隠し』)のような公明党との連立によって、自民党は歴史的・ 国際的状況との関連軸を失いながら、空疎な日本の政権党として生きながらえてきた。
では、勢いのよかったあの小泉政権とは何だったのか。小泉政権は、初めての党員全体による総裁選で、保守本流の末裔だった橋本龍太郎を予想を覆して破ることで成立した。小泉を際立たせたのは、よく知られている「自民党をぶっ壊す」というスローガンだった。そのスローガンがアピールしたというのは、その時点で自民党はすでに伝統的な支持者たち(保守的な大衆)から愛想をつかされていたということを示している。 小泉政権が強力にみえたのは、官邸主導を積極的に演出して「指導力」を示し、かつグローバル化で一強支配をあからさまにしたアメリカのブッシュ路線に全面的に乗っかったからだった。「構造改革」という内政路線も、「対テロ戦争」の外交も、実はクリントン時代に始まったアメリカ政府の日本に対する「年次要望書」をそのまま実現するものだったが、まさに「国を売りとばす」ほどのこの「対米従属」が、「強力な指導力」として映ったのである。おそらく小泉には、以前の自民党の二つの流れにあったような、敗戦に規定された戦略的な対米協調といった意図はなく、ほんとうにカウボーイのロデオやプレスリーにいかれていたのだろう。カミカゼの「軍神」たちを畏敬して靖国に参拝し続けたのも、岸の「理想主義」(アメリカのネオコンが 理想主義といわれたような意味で)のような「確信」を感じさせるものではなかった。その意味では小泉は、伝統的な「右派」というよりむしろ単に「横須賀のヤンキー」であり、それが「新しさ」だったのである。


小泉は、自民党内に「敵」(「守旧派」)を作ることで逆に「小泉自民党」の求心力とし、自民党政治に愛想をつかしていた人びとの票を一手に集めるのに成功した。その郵政選挙--アメリカ金融バブルに日本人の貯金を「開放する」という、まさにアメリカ政府の要求に応える「民営化」--で小泉自民党は「歴史的大勝」を飾り、「守旧派」は退場を余儀なくされるが、それがたしかに古い自民党に最後の引導を渡すことになった。けれども、「新しい自民党」にはもはや歴史的存在意義はなく、ただ惰性になった「日米同盟」にもたれて、内政も外交もアメリカに預けて言うことを聞くという以外、何の政策的内実もなくなった。小泉内閣はそれをむしろ積極的な選択として、つまりグローバル化に対応した日本社会の「構造改革」として推し進めたのである。

民主党の歴史的役割


日本で政権交代といえば、自民党の党首が代わることだった。長い自民党一党支配の継続によって、日本の社会の運営は自民党の仕切り(それを政治とはいうまい)と不可分に結びついてきた。そのため自民党は日本社会の「公」の部分をほとんど占有してきたといってもよい。いわゆる政・官・民(業)の癒着ともいわれる構造だが、それと表裏に、必ずしもイデオロギーとは結びつかない大衆の保守的安定志向を汲み上げる回路もできないわけではなかった。だが、自民党はその歴史的役割を終えても脱皮することを怠り、小泉政権を生み出すことで結局はその大衆的基盤をも切り崩したのである。
今回の選挙で初めて本格的に政党間の「政権交代」が起こる。民主党はもちろん人的には最初は「寄り合い所帯」だった。けれどもこの党には決定的な新しさがある。それは自民党がもっていた歴史的拘束をもたないということだ。鳩山代表の祖父が初代自民党総裁だったという家族的関係はあるにせよ、その鳩山自体、工学博士でスタンフォード大に留学経験をもつという、従来の有力政治家にないタイプである。それだけでなく、彼は九〇年代初めの政治改革要請の流れのなかで、自民党を割って出て新党さきがけの中心メンバーとなった。そのとき小沢一郎も新生党を結成しているが、ここでは当時分立した政党の 離合集散史は脇においておこう。重要なのは、冷戦後の九〇年代に日本の政治構造の改編を目指すそうとした政治家たちが結集したこの党には、アジア太平洋戦争との絡みや、冷戦下でのアメリカとの寝技といったしがらみが基本的にはないことだ。政権交代が必要だったのは、自民党的に組織された統治構造をいったん壊さなければ、日本の社会に世界の新たな状況に適合した〈政治〉が始まらないからだ。その意味で、この政党が政権を担うことは日本の政治にとっては画期的なことだと言っていい。初めて、二つの戦争のしがらみを脱して、現在の世界状況に対応しようとする政府ができるのである。そこから〈政治〉が始動する。


それが民主党に期待されるということではない。むしろそれは民主党に課せられた役割なのである。自民党が延命することでハリボデのように空洞化させてしまった日本の〈政治〉、国内・国外に向けた〈政治〉を始動させるということ、それがこれから政権を担う民主党の歴史的使命である。そして同時にそれは、グ ローバル化の掛け声とともにすべてを市場に投げ出して〈政治〉の役割を放棄させてきた、アメリカ流の経済原理主義ないしは新自由主義的統治と手を切ることでもある。小泉自民党は、「政治の空洞化」が市場への投入による「政治の解消」によってチャラになることを「構造改革」と称して推進したが、それによって荒廃した社会は〈政治〉の復興を求めている。そのことを今回の選挙は示したのである。 「連立」以後の自民党は、政権の確保以外に存在意義を失い、その結果、実際の統治行為は官僚に任せることになってきた。そのため必要とされたどんな「改革」も、志操もない政治家たちを見切った官僚集団の権益確保に終わってきた。この関係も変えなければならない。つまり実のある〈政治〉をすることで、公務員にもその役割に立ち戻らせるということである。
もちろん、多くの 困難が予想される。民主党の内部基盤がどの程度できているかも未知数だろう。ただ、郵政選挙以来の四年間は、日本の社会にとっては大きな停滞(または後退)でもあったが、民主党はこの間にしだいに成熟し、とくに去年の参院選勝利以来は「政権交代」の現実味を前に本格的な準備期間をもてたともいえる。

「混乱」の由来 


政権交代にともなう「混乱」が取沙汰されるが、実際、誰にとっても初めてのことであり、大胆(それがなければ変化の効果がない)かつ慎重に、すべてを手探りで組み直してゆかなければならない。この政権交代に「昂揚感」がないともいわれる。だが、投票率の高かった今回の選挙が示したのは、多少の混乱は折り込んでも政権を変えようという、有権者の多くの意思である。だから一般世論はしばらくは冷静に事態を受けとめてゆくだろう。ただ、準備ができていないのはマスメディアであり、とりわけアメリカである。かれらは自民党が政権にあることにあまりに慣れてしまい、この変化にとまどってしばしば「不適応ぶり」をさらけ出す。外務省幹部に「民主党に協力するのか」などと質問して記事にする新聞記者はその最たるものだ。公務員は国のために働くのであって、自民党や省庁のために働くのではない。官僚が選挙結果を受け入れないのであれば、それは「クーデター」である。そんなことも忘れるほど、一部のメディアは浮き足立っている。


そしてアメリカでこれまた一部の政治家が、鳩山論文の抜粋を「反米的」だと問題にし、オバマ政権のスポークスマンが「『従属』というのは意味がわからない」と発言したりする。一方は、日本がアメリカに従属することをあたりまえとみなし、もう一方は全世界が知っている日本の対米「従属」(だから日本がどれだけ望んでも国連の常任理事国にはなれない)を、そのまま表現することにクレームをつけて、従来の慣習に従うよう暗に「従属」を強要している。アメリカには「チェンジ」の権利があるが、日本にはそれがないというかのような、米政府内外からの反応である。あるいは、アメリカは何ら変わっていないという裏返しのアピールである。それをまた日本のメディアが一大事でも起こったかのように取上げ、自民党首脳が「アメリカを怒らせる」とばかり牽制する。むしろ「混乱」を増幅するだけのこのような「不適応」症状が蔓延するなかで、当の鳩山代表はオバマ大統領の電話に、「あなたのおかげで日本も『チェンジ』できた」と応じたと伝えられるが、これは日本の政権担当者としては近来にない当意即妙の応答だったといえるだろう。「思いやり」でご機嫌をとるよりも、柔軟に自己の立場を示して理解を求める、そうした対応が、結局は日本の〈政治〉に対する国際的な信用を作り出すのである。 


鳩山論文が掲げる「友愛」という理念についても、これを揶揄する向きも多いが、「美しい国」の空疎さなどに較べれば、はるかに政治史的かつ現代世界の状況に対応する意味に富んでいる。それが祖父譲りである点は留保するとしても、政治指導者がみずから指針とする政治理念をもち、それを公開することは、脱イデオロギーの時代 (その先にすべてを経済に委ねることが是とされた時代)であるからこそ意味のあることだと思われる。 新政権が立ち向かわなければならない壁は厚いしひとつではない。メディアは閣僚ポストの配分や「小沢支配」とやらを近視眼的に取上げる。それは自民党的「政局」の話しだ。だが民主党の課題は、この一五年間、あるいはそれ以上、空洞化されてきた〈政治〉をいかに復興させるかということであり、その〈政治〉の方向と内実を見極めてゆくことがわれわれの務めである。そして、そのことを今は多少の驚きをもって訝しげに眺めている世界に発信してゆかなければならない。内政の課題も全面的だが、その課題に取り組んで方向を示すことが、そのまま世界に対する日本の貢献や、世界の日本に対する評価にも直結している。その世界はいま、金融システムだけにとどまらず、経済の「成長」神話や産業社会全体のあり方をどう組み直してゆくのかという世界史的課題に直面しているのである。


最後に付言するなら、日本に「二大政党制」が 実現するかどうかはこれからのなりゆきにかかっている。というのは、自民党は事実上崩壊してしまっており、それが第二極となりうるためには、根本的な建て直しが必要だからである。自民党はみずからがどのような政党であり、その由来のうち何を現代の世界に引き継いでゆくのかを抜本的に見直さなければならない。つまり政党のアイデンティティの建て直しが必要であり、それなしに自民党は消滅するほかないだろう。

 

 

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